HISTORY
Team Goh
「チームゴウ」は、日本で初めて開催されたF1グランプリ「F1世界選手権イン・ジャパン」をはじめ、国際レース運営に携わり、自身もレース経験をもつ郷和道が、「世界で戦い、勝利する」をスローガンに1996年に発足させました。
Milestones
1996
全日本GT選手権に「Team Lark McLaren GTR」として参戦し、GT500クラスでチーム・チャンピオンシップに輝きました。さらに、ドライバー・チャンピオンシップではチーム内の2台でバトルを繰り広げる展開となり、1位、2位を独占。 全日本GT選手権時代からスーパーGTに衣替えした今でも、GT500クラスでプライベーターが勝利したのはこの時、1回のみです。
1997
第65回ル・マン24時間レースのLMGT1クラスに「Team Lark McLaren」としてMcLaren F1 GTRで初参戦。ドライバーには中谷明彦、土屋圭市、ガリー・アイルスを起用。決勝は88周目でリタイア。
1999
ル・マン24時間レースのLMP900クラスにワークスマシンのBMW V12で参戦。ドライバーにはヒロ松下、加藤寛規、中谷明彦を起用。決勝は223周目でリタイア。また同年に同じくBMW V12で参戦したル・マン富士1000kmレースでは、クラス2位、総合3位のフィニッシュとなりました。
2000
ル・マンのテレビ中継を担っていたテレビ朝日とのコラボレーションにより「TV Asahi Team Dragon」として第68回ル・マン24時間レースLMP900クラスに、パノス LMP-1 の2台体制(LMP900クラス)で挑み、鈴木利男、影山正美、影山正彦組が6位、土屋圭市、飯田章、近藤真彦組が8位でフィニッシュ。
2002
「Audi Sport Japan Team Goh」として、第70回ル・マン24時間レースにアウディ・R8でLMP900クラスに参戦。ドライバーには加藤寛規、ヤニック・ダルマス、荒聖治を起用しました。チームとしてはル・マンで3回目のトップ10フィニッシュとなる総合7位で完走。
2003
ドライバーにヤン・マグヌッセン、マルコ・ヴェルナー、荒聖治を起用し、第71回ル・マン24時間レースに参戦、総合4位でフィニッシュ。また同年、スパ1000kmと、翌2004年にスタートしたル・マン耐久シリーズの祖となったル・マン1000kmにもドライバーに荒聖治とトム・クリステンセンを起用して参戦、両レースで総合優勝を飾りました。
2004
第72回ル・マン24時間耐久レースLMP1クラスに「Audi Sport Japan Team Goh」としてアウディR8で参戦。ドライバーには荒聖治、リナルド・カペッロ、トム・クリステンセンを擁し、ついに日本籍のプライベーターとしてル・マン史上初の総合優勝を果たしました。この時チームの平均年齢は25歳。その後国内外のレース界で活躍する礎となりました。また、同年にスタートした全4戦のル・マン耐久シリーズでは総合3位の座を獲得。
2009
5年ぶりにル・マンに復活、ポルシェRSスパイダーでLMP2クラスに「Navi Team Goh」として、ドライバーには国本京佑、荒聖治、サッシャ・マーセンを擁してエントリー。決勝でクラス2位につける好走をみせていましたが、レースが残り1時間となったところで荒聖治がミュルサンヌストレートでクラッシュし、リタイアという結果に終わりました。
2019
マクラーレン・レーシングカーの日本における正規販売代理店となり、「マクラーレン・カスタマー・レーシング・ジャパン」としてマクラーレン720S GT3でスーパーGTにエントリー、10年ぶりでレースに参戦しました。ドライバーにはベテランの荒聖治と、スペイン人のルーキー、アレックス・パロウを起用しましたが、チームはシーズンを通して厳しいバランス・オブ・パフォーマンス(BoP)に泣かされ、最高成績は第6戦オートポリスでのGT300クラス2位表彰台という結果に終わりました。しかしながら、第8戦となるもてぎ最終戦では、アレックス・パロウはQ2でコースレコードを叩きだし、ポールポジションを獲得。
2020
Dale Coyne Racingとの共同プロジェクト「Dale Coyne Racing with Team Goh」として、ドライバーにアレックス・パロウを迎えインディ・カー・シリーズに参戦。
2021
TEAM MUGENに合流し、「Red Bull MUGEN Team Goh」として2021年全日本スーパーフォーミュラ選手権にエントリー。ドライバーにはルーキーの大津弘樹を起用。第6戦ではポール・トゥ・ウィンで初の勝利をおさめ、大津は2021年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。